川崎球場遺構保存のための署名にご協力ありがとうございました。おかげさまで、煩雑な手続きにもかかわらず多数の方々の署名を集めることができました。
つきましては昨年10月、川崎市が誇る歴史的遺産といえるこの場所を象徴する「外野フェンス」「照明塔」を川崎市の「指定文化財」として登録していただくため川崎市に対して請願いたしました。本請願にはにはソフトバンクホークス・王貞治会長をはじめ、川崎球場にゆかりのある球界の皆様にもご署名をいただいております。登録に至るまでには、川崎市議会の審議はじめ多くのハードルがあります。引き続き皆様のご理解・ご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
2020年1月吉日 松本 秀夫
川崎球場は伝説のダブルヘッダー「10.19ロッテ対近鉄」戦を中心に未だロッテ、近鉄両ファンやパ・リーグファン、プロ野球ファンだけでなく、当時を知る多くの人々の心に強く刻まれています。 その他にも様々な歴史がある、この日本スポーツ界の宝と言うべき「川崎球場」を、リアルタイムで知らない若い世代にも語り継ぎ「富士通スタジアム川崎」が「世代と世代を繋ぐ場所」になる事を目指しています。
現在、川崎フロンターレが指定管理者を務める「富士通スタジアム川崎」はかつて「川崎球場」として1952年から1992年までプロ野球チームの本拠地として約2,500もの試合が実施され、王選手の700号ホームラン、張本選手の3000本安打、等、多くの名場面の舞台となりました。1988年10月19日に行われた「ロッテオリオンズvs近鉄バファローズ」は「10.19」として、今もなお伝説として語り継がれ、30年近い日々が流れた今もプロ野球ファンだけでなく、当時を知る多くの人々の心に強く刻まれています。しかし日本スポーツ史上における重要な歴史を持っている一方で、ここが野球場だったということを知らない人が増えているのも事実です。現在は指定管理者である川崎フロンターレの努力により「アメフト」「サッカー」「ラクロス」「アルティメット」そして数々の「障害者スポーツ」等、多くの競技団体、競技者が集い、賑わい、新たな歴史を積み重ねています。そしてこの新しい世代に川崎市の誇るべき歴史を伝え、語り継ぎ、ここが「世代と世代を繋ぐ場所」として永く愛されて欲しいという趣旨で、指定管理者である川崎フロンターレが中心となり継続的にイベントを実施してきました。
・2016年3月5日「川崎球場10.19~あれから10,000日~」(来場者約1500人)
・2017年1月28日「10.19を中心に川崎球場の歴史を振り返る」(来場者約2,000人
・2016年10月19日「スタジアムツアー」
・2017年10月19日「スタジアムツアー」
・2018年10月19日「スタジアムツアー」
・2019年2月2日「第三回川崎球場今昔物語~君は川崎球場を知っているか」
「富士通スタジアム川崎」には現在も「川崎球場」時代の「外野フェンス」「照明塔」が残されており、この場所で紡がれた歴史の「象徴」としてイベントの有無を問わず見学者、巡礼者が後を絶たちません。今後もこの場所が、この「象徴」に見守られながら、新たな歴史を積み重ね、異なる世代、様々な人々が繋がる場所として育っていくことを願っています。つきましては川崎市が誇る歴史的遺産といえるこの場所を象徴する「外野フェンス」「照明塔」を川崎市の「指定文化財」として登録していただくことを川崎市に対して請願しようと考えております。趣旨にご賛同いただける方はお手数ですが署名にご協力をお願い致します。
2019年1月吉日 松本 秀夫